息子を慶應義塾横浜初等部合格に導くまで㊿【2018.2.13 Eテレ知恵泉】福沢諭吉は教育で『〇〇の人』を作りたかった件




新しい世界の切り開き方

慶応幼稚舎&慶應横浜初等部を受験するなら、諭吉もののテレビ番組を欠かさずチェック!
今回はEテレで放送してました。

幼少期の身分制度のしがらみにいら立つ諭吉。
そんな諭吉が新しい世界を切り開いた知恵がこちら。

知恵その①しがらみを抜けるついでにもっと先まで!

20歳の諭吉は、中津藩から長崎へ西洋の勉強をしに留学生として旅立った。
しかしその留学は、中津藩の家老の息子を世話をしながらという条件付きだった。
その息子が勉強のできる諭吉を疎ましく思い、『母親が病気だからすぐ中津に帰れ!』という嘘手紙を諭吉へ投函。
その手紙は嘘だとすぐにばれたのだが、諭吉はあえてその嘘にだまされ中津に帰ることに…
とみせかけて江戸へ行く諭吉。

リアリストの諭吉は家老の息子に歯向かってもしょうがないと考え、方向転換したのだった。
結局は大阪で緒方洪庵の塾に入って二年で塾長へ。
クレバー、かつしたたか&大胆な諭吉にただただ脱帽…

知恵②目標が無茶だと分かったら自分一人で進め!

中津藩の命令で江戸に蘭学塾を開く諭吉、24歳。
今まで習ったオランダ語を試すために横浜にいった諭吉。
しかし全く通じず…そこには未知の言語、英語が飛び交っていた。
そこで横浜から帰った翌日から英語の猛勉強を開始することに。

結局オランダ語と英語をマスターした諭吉は幕府の使節団に同行してアメリカヨーロッパに渡るチャンスを得た。
そこで様々なカルチャーショック!
アメリカではワシントンの子孫がどうなっているか知らない人が多いことに驚く。
日本では徳川家康以後、連綿と続く徳川幕府に対し能力も無いのに将軍が家柄だけで任されていることに疑問を持っていた諭吉。
実力主義を何とか日本でも導入しようと決心。

その後34歳の時、新政府軍が京都から江戸に攻めこもうと進軍。戦争に!
そんな教育どころでは無いさなかに浜松町に1300㌶の土地を自費で購入。
大工も雇って一人の責任で学校を作り出す。
戦争中で人件費も安かったため、大勢で一気に建設!ある種の大博打。
そして論理的に自分で考えられる人材を育成し日本を新たな文明国へ導くための学校を始めた。

幕府も藩も新しい教育の必要性は理解していたが圧倒的にスピード感が無かった。
一人でやった方が手っ取り早いと。

諭吉の好きだった言葉に…
『ママヨ浮世は三分五輪』という言葉がある。
これは世の中はどうせ7割方の完成だと。
つまり完全なものじゃなくてもドンドン出していくと。

この辺の話はサラリーマンやってると切に感じますね。
会社自体、往々にしてスピード感が無い。100%の準備をしているうちに後れを取る。
個人的には見切り発車上等、走りながら考えればいーじゃんと思っているので非常に諭吉に共感できます。
慶應卒業して今更ながらですが。。。

また、社会を変えるには人を変える必要性があるとも。会社もそうですね、人材がホント大事。
まさに『会社は人なり』。

そして諭吉が教育を通して社会に送り出したかったのは政府高官でもなく実は、、、

『普通の人』

であった。

なぜか?
それは社会の中で少しでもおかしいと感じたことをたったひとりでもノーと言える健全な国民を輩出したかったから。

この辺のくだり、願書にからめていけないですかね。
我が家の教育方針にリンクさせて…

知恵③突破口はサービス精神

学問のススメの話。
『天は人の上に人を造らず、人に下に人を造らず』の先には、
『賢いか否かの差は学問をしているか否かにある』と続いています。
ここはしっかり押さえておきましょう。単に平等を謳ってるだけじゃないってことは。

諭吉は国民一人一人に啓蒙するために本の出版以外ももっと早く伝わる媒体に注目。
それが新聞だった。もし今生きてたらSNSとか駆使しまくってたかもね、諭吉さん。

48歳の時に『時事新報』創刊。思想的に独立の道を目指す。
中立の道を選び、体制よりでも反体制よりでも無かった。
しかしどっちつかずにも世間の目にはうつり…

『ほらを福澤、嘘を諭吉(言うきち) 一向に信用できぬ』と揶揄される。
なかなかうまい事言うな・・・

更に時事新報に大打撃が…
スポンサーの売薬業者を社説で『効能が無いものだ!』とまさかの批判展開。
当然広告は撤退され収入減に。
正直、この一件に関しては『諭吉はバカなのか?』と思いますが…
最初からスポンサー断るか、もしくはそこはスルーしろよ。

そんなこんなで状況打破のために天気予報を新聞で初めて掲載!
料理コーナーや歌舞伎役者の人気投票など娯楽面を充実させた。
海外からのスカイダイビングのイベントがあれば、空から新聞を撒いてもらったりして宣伝効果も抜群。

発行部数は1500部から1万部になり東京最大の新聞に成長。
この辺はリアリストたる所以ですかね。

紙面では政治だけでなく社会面を充実させることで硬軟織り交ぜて政治に関心を持ってもらおうとしたらしい。

最後に番組内で出てきた印象的な言葉

ザクの豆腐でお馴染みの相模屋の社長、鳥越淳司がゲストでしたが印象的な名言がこちら。

否定・批判されることにはチャンスが眠ってる。
それを信じてやり抜くことが大事。

スピードに勝るものは無い。
準備はじっくりやるんじゃなくて5割でスタートしろ。
早くやれば先駆者メリットがつく。

 




コメントを残す