エッセイ…のようなもの ⑮本は「読む」、テレビは「見る」、じゃあ「ブログ」は?




約 43,500,000 件 と約 90,400,000 件

このサイトを始めてから約1ヶ月。ふと自分がいつもブログを読んでいるのか、見ているのか考えてみた。
で、冒頭の数字。
前者がグーグルで「ブログ 読む」で検索した結果。
後者が同じく「ブログ 見る」で検索した結果。

世の中的にはブログは「読む」ものではなく、「見る」意識なんだろうな。
松居一代のブログだって、やしろ優のブログだって、市川海老蔵のブログだって確かに読んではいない、見てるような眺めているような、そんな感じ。
逆にじっくり読んでたらそれはそれでどうかとも思う。

私はいまだにガラケーなんですが、このサイトさえ、自分の携帯で見ること出来ないんですよ。なので最近は移動中に本を読むことや、次の記事どうしようかなと考え事することが多いわけで。本を「読む」という行為は、駄作とか合わない本はあるにしろ、一応能動的にアクションしてその本を手にとって何かを得ようとする目的をもって対峙してるから成り立っているのかなと。

でも「見る」事が悪いとは思わず。これだけ情報が氾濫する中で、いちいちブログとかサイトを「読んで」たら疲れてしまうので「見る」ことになるのは仕方ない。その中で「読む」に値するサイトだってたくさんあるしそれもネットサーフィンの醍醐味だからいいと思う。

ただ、漠然と「見させられてる」状況が続くと完全に思考停止してしまいそうで怖い。情報を取捨選択して「読む」行為をどこかで意識的に切り替えていかないと流される一方になってしまう。本を読む重要性はここだと思う。自分で思考方法を切り替えるというか。別にキンドルでもいいけど。

約 435,000 件と約 509,000 件

キンドルの話をしたのでついでに調べて見た。
前者がグーグルで「キンドル 読む」で検索した結果。
後者が同じく「キンドル 見る」で検索した結果。
まだ、「見る」意識が強いけどほぼほぼ数字上は互角になってきてる。さっきは倍以上の差だったからね。
やっぱりキンドルを持つ以上、能動的に得ようとする意識が発生してそう。キンドルなんて実物見たこと無いけど。

テレビのテロップを「見る」

テロップについては以前から感じてることだが、本人が言ったことと違う表示されてるからね。細かいけど「ら抜き」言葉で言っても表示はきちんと「ら」が入ってたり。要は製作者の意図が入ってる。ら抜き言葉も含めてその人のパーソナリティを表してるのに、ただ「見る」だけじゃ、それもわからなくなってしまう。極端だけど聴覚障害者があのテロップ見たら「ああ、この人はきちんとした日本語話す人だ」って思ってしまうんじゃなかろうか。見た目どおり、ら抜き言葉を話す若者であっても。与えられたものをそのまま受け入れてしまいそうな社会が怖い。
あと、バラエティとかのスタッフや観客の笑いのつけたしね。要は「ここが笑いどころですよ」ってご丁寧に合図してくれてるってことでしょ。自然な笑いならいいけど最近のビートたけしとか関根勤とかに気を使ってるような感じね。つまらんものはつまらんってしてもらわないと。彼らはお笑いを専門にやってる人なんだから。日常生活で上司が親父ギャグいって愛想笑いするのは必要だと思いますよ。円滑にするために。でも彼らは違う。それを一般社会でやってる会社の上下関係の縮図みたいなものを見せられても、そんなものテレビに望んでないよといいたい。面白いものだけ提供しろよと。

情報リテラシーについて

情報垂れ流しの時代、昨今の金持ちと貧乏人との二極化は更に進むと思う。それは垂れ流しの情報に踊らされる側と踊らす側の違いがより明確になるから。
このサイトを立ち上げて見て、興味もってネットビジネス成功者とかの話を聞くといかに人に読んでもらうかを真剣に考えてマーケティングしてるかが良くわかる。結局成功する発信者は、常に有益になる情報を発信しようと勉強して更に自分自身が成長するっていう、いいスパイラルに嵌っていってる。
これは会社で働いてる者と、働かされてる者との違いと同じなのかな。
やっぱり情報をただ見るのが目的ではなく、何か目的があってその手段として情報を得る姿勢をどこかで持ってないと駄目かな。
じゃあ、どうしたらいい情報とそうでない情報を見分けるか?

結局は発信者の人間性?

正直、素人の私とかが何かを調べて見てもその情報の真偽の程はわからんのですよ。じゃあ、何で判断するかっていったら結局はその人の人間性というか。
それを見極めるために多くの人と巡り合うリアルな部分が必要なんでしょうな。ひきこもりが好きな私が言っても説得力ゼロだが。
例えばで申し訳ないが、なんとなく最近では津田大介が100%信じきれないとか。決して金髪で太ってきて「金髪豚野郎」ってネットで言われてるからとかではなく。上念司とのオスプレイのやりとりとか見るとね…
裏を返せば中身は無くともなんとなく良さそうな「人間性」を醸すことができたら勝ちですよ、ショーンKみたいに。中身の無い自分には人の良さそうな人間を演じたほうがいいのかもな 😆 

なんか話が飛びまくってしまいましたが、このサイトも10本に1本位の記事は「見る」記事ではなく、「読まれる」記事を書いていきたいなあと思った次第で。




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