【2019.5.28】川崎の事件で思う、『容疑者と近所の人との挨拶の有無』について




挨拶する人=いい人、挨拶しない人=得体の知れない犯罪者予備軍?

事件が起きると毎回お決まりのように…

『容疑者は挨拶が無くていつも感じが悪かった』
『容疑者とは毎朝挨拶してましたよ…こんなことになったのは、なぜだかわからない』

と、リポーターからの問いに対し答える近所住民の様子がテレビのニュース・ワイドショー等で放送される。

正直、挨拶しようがしまいがどちらの人間でも犯罪者にはなるので、余り質問する意味は無い気はするのだが。。。
例の林 眞須美も近所では笑顔が絶えない愛想の良い人って話だったし。

じゃあなぜこのお決まりのインタビューが繰り返されるのか考えてみた。

恐らく、『挨拶しない近隣住民=怖い』、『挨拶する近隣住民=安全』という共通認識、言い換えれば『コミュニケーションが近所の中で取れていれば犯罪者では無い』という既成概念を、このような事件の際に皆で再確認したいと思うんですかね。

周囲が挨拶する人間だらけであればこの近辺は安心!って思いこみたい。
いや、確かにその可能性は高いのかも知れないけど、相手を騙そうと思ったりして近づいてくる人は大抵愛想よく入り込んでくるだろうし。実際に詐欺師(デブで笑顔が絶えない男でした…)に騙された経験があるので実感がこもります…

近所から怪しまれないようにするために、本当は挨拶したくないけど無理して挨拶しておこうって、俺が犯罪者なら思うけど。
とは言え、実際挨拶しても無視されれば『あいつ、やべー奴だ』ってなるのは当たり前なので犯罪者レッテル貼るにはわかりやすい問答なんだろうけど。

テレビ局からしたら挨拶あっても無くてもどっちでもいいんだろうね、この質問は…

①挨拶無し=やっぱり挨拶しない人は犯罪者だね!

②挨拶有り=挨拶するのに犯罪者とは…意外性を浮き彫りできたっ!

ってな感じで情報量が少ない事件初期段階でも、なんとなくそれっぽい犯罪者像を仕立てあげることが可能。
別にこの質問が悪いとは言わないけど、いい加減別の切り口から犯人像を浮かび上がらせるアプローチを考えればいいのにと思う。

で、今回も『ひきこもり』だったとの報道

ひきこもり=犯罪者予備軍のレッテルがいつものように貼られていきます。。。

挨拶しかり、ひきこもりしかり、いつもこんな紋切り型の報道に対して違和感を感じるのは俺だけでも無いとは思うんだけど…

紋切り型に社会を捉えれば簡単だし安心なんだろうね。
人間は十人十色、ダイバーシティだなんちゃらと言ってる割には型にはめるの大好き社会。

そういう社会だから、ダイバーシティやらLGBTが大事だって改めて言わなきゃいけないんだろうけどさ。

人間、レッテル貼った瞬間、思考停止しちゃうよね。

世の中は客観的環境ってものは無く、環世界=自分が思い込んでいる世界』で成り立っていて、当たり前と思うことが実は当たり前じゃない(自明の罠)って思うことが重要。

この辺の話はこの本に書いてますが。。。

ダイバーシティ論議も『日本人VS外国人』と二極化すれば簡単に見えるけど、実はその日本人のなかにも千差万別、十人十色!って視点が無いと本質的な議論に結び付かないって話。

千差万別で相手のことなんか簡単にはわからないのに、わかった気になろうとするために自分の知ってる知識経験の範疇で理解しようとするための補助として紋切り報道がハマっちゃうのかなと考えたりするわけで。

裏を返せば肩書に弱い、肩書を異常に大事にする国民性にも通じるんですかね。。。




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