【2018.5.14日テレ】NNNドキュメント 「南京事件II」は事実はどうあれ、取り合えず見た方がいい件




2015年10月に放送された南京事件ドキュメントの続編です

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日テレの良心番組、日曜深夜放送の『NNNドキュメント』が興味深かったのでご紹介。
日曜日はフジテレビの『ザ・ノンフィクション』といいドキュメンタリー番組が多くて良い。

で、今回は南京事件の真相を探る特集。

3年前にもこの事件の特集してたらしいが見逃してたなあ・・・

南京事件とは

まずは南京事件のおさらいから。以下、みんな大好きウィキペディアから引用。

南京事件(なんきんじけん)は、1937年(昭和12年)12月の南京戦において日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間もしくは最大で2か月以内にわたって、当時の日本軍が中国軍の捕虜、敗残兵、便衣兵、そして南京城内や周辺地域の一般市民などに対して殺傷や暴行を行ったとされる事件。

まあ、概要は皆さんご存知の通り。
日本政府の公式見解は外務省のHPから見られます。

ちなみにここでは慰安婦問題についても触れてます。

HP上での政府見解はこうなってます。

日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。
しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。

『否定できない』・・・つまり正式に認めてはいると・・・
あとは殺めた『数』の問題ですね。

ついでに調べてたら過去に河村たかしが国会質問してたみたい。
今から10年前の小泉政権の時ね。
その時の答えも同様に否定できないとのこと。

番組内容のポイント

  1. 南京事件に関する記録は戦後、政府によって燃やされていた
    1945年8月、軍の戦争責任を問われかねない書類を今の防衛省敷地内にて燃やして証拠隠滅!
    しかし、隠滅が甘く最近になって発見された。
    連合国に見つかる前に焦って燃やしたから焼きが足りなかったね。
    焼却炉の魔術師、博多大吉先生に頼まないと・・・

    で、その書類の中に南京事件の公式記録に関するものも含まれてたと。
    隠ぺい体質は今も昔も変わらず、脇が甘いのも変わらず・・・

    公式記録亡き今、当時関わった兵士たちの肉声と一次資料(陣中日記等)を集めて検証したのがこの番組。
    ただ残念だったのが、ほとんど皆さん顔出しNGで匿名だったこと。
    生保の枕営業の実態を話した人にボカシいれて放送してたマツコ・デラックスの『日本ボカシ話』と変わらんレベル。

  2. 亡くなったのは30万人???
    中国側はこう主張してますが、これは誇大広告ゆえ、JAROに通報するレベル。
    占領前20万だった南京の人口が、占領後1ヶ月後には人口25万人いたらしいからね。
    そもそも30万いないって話。

    番組で触れてたのは以下の人数。
    捕虜の数は14,777人、皆さんひもじかったので草の根を食べて自分の小便を飲んでたとの証言。
    これら後ろ手を縛られた捕虜を揚子江沿いに集めて一斉射撃。この様子をCGで再現してました。
    射撃1回目は12月16日。銃撃が終わると刀や銃剣で念入りに生き残りを始末。
    ザッカザッカと突いたという証言が生々しい。
    その後揚子江へ流して処理。この時は数千人規模の銃殺。
    最初何十人かは流れるものの、何百人、何千人は流れないので揚子江が詰まったらしい。
    これが本当なら今でも遺骨がありそうだが・・・
    これが翌12月17日も行われた・・・この時も撃たれないように逃げた捕虜が重なり3m以上の人垣になってたらしい。

    ある兵士の証言では何万という捕虜を始末したと。
    結局この辺の数字はわからんままだったが万単位のレベルであるのは間違いなさそう。

  3. あれは虐殺ではなく自衛行為???
    一部ネットの声を取り上げてました。
    要は捕虜の中には便衣兵=ゲリラ兵が多かったので武器を隠し持ってたため銃殺されたと。
    しかし記録や証言では彼らは武器を日本兵に渡していたため、無抵抗状態の捕虜を処刑したから国際法に違反する行為だと指摘。

  4. 自衛発砲だからOK???
    捕虜を解放する目的で揚子江の反対岸へ船で運ぼうとした際、反対岸から銃声がし、それに触発された捕虜が暴動を起こしたため止む無く自衛のために発砲したとの説。これもネットで話題になってる説らしい。
    この流行りの説の元をたどると1964年発行の『郷土部隊戦記』という本に辿りつきます。
    これは南京に出兵した福島県の65連隊の隊長、両角(もろずみ)氏が主張した説をまとめたもの。
    地元紙の記者が両角連隊長にインタビューした連載記事を本にした。
    つまり、自衛発砲説は当事者が自己の行為を正当化するために話した内容を取り上げた説なので、普通に考えれば都合よくまとめてると考えるのが筋なはず。
    この人の日記もあったのだが、16日の1回目の射殺には全く触れず、17日にいきなり捕虜を解放しようとするも暴動が起きたから自衛のために発砲したとの内容。でも実際は南京入城式のために現場にはいなかったことが判明。
    この日記も昭和30年代、戦後に書いたもの。

    現場にいた田山大隊長の部下の日記にはしっかり16、17日と捕虜の始末をしていたことが細かく明記されていた。
    しかも、これらのことは帰還しても決して話さないようにかん口令が敷かれたとの話。
    現場の兵士に言わせれば、捕虜開放なんて言うのは虐殺を正当化するための上の人たちの詭弁だと。
    戦略上、屠殺するしか無かったとも。

感想

結局、真相はわからんのだが、両角連隊長を取材し地元紙に掲載した記者も『虐殺はあったであろう』と証言してた。
数はどうあれ行為自体はあったのかなと言う印象。

でもこの話をややこしくしてるのがこの番組のチーフディレクター清水潔氏の存在。
桶川ストーカー事件では大活躍するも今は反安倍で活躍中。
南京事件の1作目もなんか賞を取ったみたいだけど今回も安倍批判を絡めてるのは拭えない。
『重要な公式記録を焼却する、この国、日本』のナレーション番組は締められてるからね。今の政権への皮肉でしょう。
なんかそういうバイアスがかかってるってわかっちゃうと素直に番組自体を鵜呑みにできないというか。

あと南京事件の話をするとよくケントギルバート氏や上念司氏なんかが『通化事件』の話をすぐに持ち出すけどあれもなんだかなあ。。。
あれもひどい事件だけどそれはそれ、これはこれって話で、しっかり南京事件は日本側が起こした事件としてしっかり総括してくれと思ってしまう。

そのご両名も加計学園の岡山理大の客員教授に就任。
いくら安倍擁護派とはいえわかりやすすぎる就任だな、いいのかそんなんで???
長谷川氏の代わりにニュース女子の司会にもなって笑いがとまりませんな上念さんは・・・

みんなポジショントークしてるって印象しか無いから誰も信じられなくなるんだよなあ・・・
だから南京の件もどうなんだろうね・・・吉田清治の件もあるし・・・わからんよ。

【再放送されます】
5月20日(日)11:00~ BS日テレ

5月20日(日)5:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24」




1 個のコメント

  • この番組の疑問。

    冒頭に、東京都教育委員会所蔵の写真が出てきます。
    (ユーチューブ石井のぶUP映像)
    その「市ヶ谷台資料」の写真が、余りにも生々しくて驚きました。
    50年たっても、燃え殻が盛り上がっている、なんてことがあるでしょうか。

    戦史資料室の「市ヶ谷台資料」PDFを見ると
    「防空壕跡らしき地下2メートルの所で発掘」と書いてあります。
    しかし写真は、上を覆っていたはずの土のかけらも見えません。

    元兵士日記について。

    (1)山砲兵第19聯隊第三大隊上等兵の日記の映像について

    この日記は、日付に大字(拾二月=十二月)を使っています。

    日本人は、日付に大字(拾二月=十二月)を使ったりは、しません。

    私は、江戸時代の古文書解読の本を、15冊程持っています。
    しかし、日付に大字を使った例は、全くありません。

    また私は、幕末から昭和10年までの、著名日本人の手書き手紙画像、
    170点余をサイトUPしています。

    そこにも、日付に大字を使った例は、一例もありません。

    間違いなく日本人が書いた日用文には、日付に大字を使った例が一例もないのです。
    しかし、南京事件に関係する文書には、日付に大字を使う例が、多発します。

    秦郁彦『南京事件ー虐殺の構造』中公新書p131

    も、そうですし、番組に登場される小野氏が参加した
    『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち―
       第十三師団山田支隊兵士の陣中日記』大月書店1996
    にも、たくさん出てきます。

    日付の大字だけで、これらの文書の真正を疑うのは、困難かもしれません。
    しかし、南京事件文書群における、この非常に顕著な、
    異例の傾向は、疑ってみるべきです。

    (2)それに、これらの日記がどのようにして日本国内に持ち込まれたか、
    について、その足跡をたどるべきです。
    なぜ戦後になるまで日本人は南京事件を知らなかったのか、
    それは検閲が厳重だったからだ、と、幾人もの研究者が言っています。
    その厳重な検閲をかいくぐるのは、さぞスリルがあったことと思われますが、
    その裏技について、誰も証言していません。

    そして日記が証言するような内容の事件が起きている南京で、
    どうやってそれだけの文を書くか、を、考える必要もあります。

    机の上か。昼間の明るい時間に書くのか。
    夜なら、戦闘があった時期に、明かりをともしても大丈夫とばかりに、即座に明かりが
    確保できたか。

    そして、日記を書くのを、見とがめる人はいなかったのか。
    日記を書いた人は、検閲なんか、全く心配しないで書いたようだが、
    そんな態度で、軍の仕事ができたのだろうか。

    背嚢に入れて持って帰れたのか。上陸の際に見とがめられなかったのか。
    戦時中に郵送したにしても、どうやって検閲をかいくぐったのか。

    (3)そして、ペン書きはおかしい。 戦闘参加者による「ペン書き」については、
    ペン書きが南京事件当時の証言史料として出始めた最初の頃から、
    これはあり得ない、と、問題になっていました。

    清水氏は、それもご存知なかったのか、番組では疑問点の指摘をせず、日記をしげし
    げと、詳細に映し出します。
    しかし、*「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より、
    吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)の「ペン書き」についての意見

     「戦争をしている兵隊が毎日毎日、日記がつけられると思いますか!
     それに鉛筆書きならいざしらず、インクとは恐れいった。
      当時は、ペン書きするには、インク瓶からスポイトでインクを補充せねばならない
    時代だが、
    戦場へインク瓶を携行するなど考えられない。」

    (私の仮説)第二次世界大戦中、元々は中国発だった対日ニセ情報工作に、連合国国家
    群が便乗した。
    日本軍の残虐行為がねつ造され、連合国で喧伝され、それを利用して、
    アメリカの対日残虐行為(つまり日本全土の一般人標的の無差別爆撃、原爆投下)が正
    当化された。

    敗戦時は、戦勝国が何でもやりたい放題だった。
    罪をでっちあげ、戦犯として処刑するなんてことは、簡単だった。

    ねつ造した罪の軽減、待遇改善、解放、これらとの交換条件として、
    暴力を背景に、多くのニセ情報工作の工作員を仕立てた。

    こうして多くの軍関係者や政治家が、ニセ歴史容認・宣伝担当者となった。
    映像に出てくる元兵士たちも、そういう人たちかも知れない。

    その後もニセ情報工作員養成は続いた。 日本にはスパイが何万といる、
    という話を聞いたことがあるが、きっとそうなんだろう。

    ***こういう流れで考えると、都や戦史資料室に工作員がいてもおかしくないので、
    心配しているのです。

    南京事件について言うならば、中国で証言をする人々について、
    「中国という国が、真実を証言できる国かどうか」を考える必要がある。

    中国は簡単に人を殺し、罪をねつ造する、人権無視の国だ。
    池上彰『そうだったのか!中国』によれば、 中国共産党は、1950年の建国時に、70万
    人もの人を公開で処刑。

     *(明治以降の日本では、権力者が、非武装の同国人を、人前で処刑したりしたこ
    とはない。)

    毛沢東の大躍進政策の時には、4千万人という膨大な餓死者を出した。
    1966年から1976年までの文化大革命の時には、大混乱の中で、50万人が犠牲になった。
    1989年の天安門事件では、人民解放軍が、 一般市民を1000人以上殺害した。

     *(日本は戦中戦後の飢餓を克服し、安定した平和な国を作った)

    中国には思想犯・政治犯に対する強制収容所・強制労働がある(Wiki)。 情報統制・
    言論弾圧の国である。

    *(誰が本当のことを言うだろうか。。。)

    こういう中国の政治環境は、「人は正直に話をすることが出来ない」
    「贋作を強制されたら、やるしかない国である」ということを証明するだけである。

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