フジテレビのザ・ノンフィクションに引き込まれました・・・
まず、冒頭に話しておかなければいけないのが…
グーグルアドセンスをやっていると色んなNGワードがありまして、今回ノンフィクションで取り上げた北九州の事件なんかはまともに記事にできないんですね。暴力的すぎるということで。
ペナルティ喰らうとアクセス数も激減するんで。
なので書かない方が無難なんですが、極力表現を選んで記事にしようと思います。
北九州の例の事件は以前に色々とネットで調べていて驚愕した記憶があります。
事件当時は大学生で、そこまで印象に残って無かったのですが社会人になってから調べていく中で、戦前の日本のど田舎の隔離された村みたいな場所ならともかく現代の日本でよくもまあこんな事件が起きたなと印象的でした。
個人的には綾瀬のコンクリート詰めの事件と双璧をなす胸糞悪い出来事ではあります。
宮崎とかサカキバラも強烈だったけど、あれともちょっと違うんだよね。
この二人は突出した個のイメージだけど、先のふたつの事件は普通の人々の延長線上に位置する感じがしまして。
私たちも主犯にはならなくとも、状況次第では末端には加担してしまう可能性があるんじゃないか位は思ったりも…
さて今回のドキュメンタリー見ての感想ですが…
- 綾瀬の事件の犯人は前にテレビのインタビューに答えていて、今は結婚して子供がいる事を話していましたが、北九州の犯人の息子は結婚してもまだ子供を産むのをためらっている話をしてました。
経済的な側面というよりも愛情のかけ方がわからないということで。なんか対照的だなあと見ながら思いましたね。
片や名前を変えて結婚して子供をもうけて生活してる加害者と、片や結婚しても子供を持つべきか悩み苦しんでる加害者の息子と…
前者もそりゃ深く反省して更生してると思いたいですが、正直そこまで深く考えているのかなあと疑問が残るわけで。
実際他の仲間の犯人も何年かして捕まってましたよね。今回は後者の苦悩が伝わってきて、仮にそばにこの人がいても、どう接していいか正直難しいだろうなあとは感じましたね。
やっぱり同じ思いを持った人や、境遇の人と一緒にいるのが必然になるような気はします。
実際母親が薬で捕まった女性と結婚したそうですし。どうしてもこういう事件に接すると、我々は我々の感覚で無理やり事件そのものや、事件の登場人物の心情を理解しようとするけれど多分それは難しいんだよね。
でもある程度理解をしたと自身に思い込ませないと、なかなか自分の中に消化しきれない部分が出来てしまう訳で。
消化できないと、漠然とした不安がつきまとうからだとは思いますが。
要は異常な事件に対する感情を、無理やり自分たちが持ってる型に当てはめて理解することで不安を追い払おうとしているというか。
もしくは自分たちと一線を引くことで『自分たちはこんな異常者とは一緒ではない』と再確認して安心を得ようとしているというか。こういうドキュメンタリーの意義って、無理やり型にはめて事件を理解しようとしている私たちの視点を、また違った角度から理解するように導いてくれてる所かなと思います。
それにはやっぱり当事者の声を聞くのが一番な訳で。それって多分、この事件だけの話じゃ無くて世の中の何事においても当てはまるのかなと。
自分に都合のいいフィルター(それが意図したものでなくても、無意識でも)を通して物事を頭でっかちに考えがちな所を、現場の声に接することでその歪みを矯正するというか。まあ結局は『事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!』って話になってしまいますが。
- 余談ですが、同じ北九州つながりで以前ノーナレで取り上げられてた元ヤクザのうどん店でこの人も働いたらいいのに…なんて勝手に思ったりしました。
まあ、今は職場に恵まれているからいいでしょうけど、同じような環境の人がいたらあのうどん屋で働かせてもらうのが居心地がよさそうではと漠然と感じたりして。
あまりに想像を絶した体験だったろうから、軽々しくは言えないけど、幸せに誰にも邪魔されずに生きてくださいと純粋に思えた内容でしたね。
※今回番組を作ったフジテレビの張江泰之チーフプロデューサーは、NHKで『クローズアップ現代』や『NHKスペシャル』を制作し、文化庁芸術祭やカナダ・バンフテレビ祭など、数々の受賞歴を持つエースディレクターだったそうです。
今のフジテレビを生き返らせるには、外の血を輸血するのが一番手っ取り早そうですね。
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