【新社会人へのメッセージ】『働くことはかなしい、けれど』2003年4月1日玄田有史編




新社会人向けメッセージ~玄田有史~

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毎年この時期になると各企業の新入社員向け社長メッセージが取り上げられたりするのですが…
例えばサイバーエージェントの藤田晋社長はこんなことを2018年入社式で述べてました。
以下一部抜粋。

「皆さんはこのように、社会に出るとレベル1か2。
インターンやバイトをしていても3くらいしかいってない、そこからスタートします。
オンライン対戦で百戦錬磨がうじゃうじゃいる中でレベルが低いところからのスタートになります。
それに追いつき追い抜くためには量をこなし、技を磨いていくしかないのです。
まずはスライムをやっつける目標を立てて、そこから始めてほしいです。
そして仕事にハマって楽しいという状態を作ったら、皆さんの潜在能力は必ず発揮され、良い仕事ができるようになり、そして素晴らしい会社になります。
会社は皆さんを全力でサポートしていきます。今日から一緒に仕事を楽しみましょう」

ゲームになぞらえ、若者に響くような分かりやすい内容。

こんな入社式の様子を見るにつけ、ふと私自身が入社時に印象に残った社会人向けメッセージを思い出しました。

それは私が慶應を卒業し、新社会人になった2003年4月1日付(確か読売新聞夕刊)の玄田有史東大助教授(当時)の言葉。
今は東大の教授ですね。
なおかつニートの敵でおなじみになってしまいましたが、この文章自体は当時印象に残り記事を今も保存していたわけで。
確か入社時研修で4月1日から研修所に2週間缶詰だったから、親がこの記事を取っておいたような…

働くことはかなしい、けれど

こんなタイトルの記事でした。

以下要約。

  1. 働くことは基本的にはつらく、むなしい
    うれしい、楽しい、大好き!みたいなドリカム的なことは仕事ではほとんどなく、自身の無力さを嘆くことの方が圧倒的に多い。
    特に新人の頃は…
    無力さ=自分の実力の無さ、であることを突きつけられるのはなかなかしんどい。

    以前、バイト先で30歳になってもバイトオンリーで正社員になる気は無いという同僚がいました。
    理由は『誰かに使われたり、縛られるのが嫌だから』とのこと。
    既に現状バイト先に使われてるし、時給=時間に縛られていることに気付いていないのか、とも思いましたが別に仲良くもないのでスルーしました。

    でも結局はバイトリーダー的な立場=お山の大将的な存在でいる方が気楽で、例えば正社員でそれ以上の責任ある立場に置かれた時に、能力的にというか感情的に対応できない自分という無力な存在を認めたくないから現状維持でバイトなんだろうなあと。
    所詮バイトやパートは相応の責任しか背負わないから気楽な訳で。

    じゃあ無力さを感じずにいた方がいいかといわれたらそうでは無いわけで。
    成長しないからね。

    つまり、『働いて自分に力のない不幸を感じたことのない人こそ、本当は不幸なのだ』と。
    無力さを感じる事は成長過程においての通過儀礼であるということ。

  2. カベにぶつかった時の対処法
    カベにぶつかった時は無理に乗り越えようとするのではなく、その前でウロウロしろと。
    そしたらぽっかり穴が見つかったり、壁が崩れたり、ヘリコプターがロープを降ろしてくれると。

    つまり自力では無理でも偶然としか思えない力が味方する時がある。
    そんなチャンスをもらった時にでも大抵は体がすくんでスルーしてしまう。
    自分の力のなさに心底イヤになる。

    でもたまに体が反応していいパスに対しゴールを決められることがある。
    そんな時は運が良かったと思えるし踏み出した自分をささやかに誇れる時がある。

    そしてそんなパスを今度は自分が誰かに出してあげたいと思う。

    まあ確かに営業やってる時なんかは特にこんな経験がありますね。
    意外な紹介者から契約につながったりした時は特に感じます。
    そんな『神の見えざる手』的な助けであったとしても、結局は日頃の紹介者との関係作りが役にたったから成約につながった訳で。
    その下地を作ったのは、前述の自身のカベの前でのウロウロとした行動だったりする。

  3. 仕事の中では常識や能力を超えた存在に出会う
    今まで遭った事もない体験を仕事では味わうことが出来る。
    それは違和感だらけの『異物』との遭遇だ。

    違和感を前にして逃げだすことはたやすい。
    『自分に合わなかった』と言い訳することもできる。

    でも完全にマッチする仕事などあるわけがない。
    仕事はすべて、多かれ少なかれミスマッチだ。

    その仕事が自分に適した仕事だったかどうかは、人生の最後の瞬間になって、はじめてわかると玄田氏は言う。

    転職者の面接をしてて、良く『仕事が合わなかった』『上司と合わなかった』という方がいる。
    ただ、いつも尋ねるのが『どのように合わせる努力をしましたか?』ということ。

    ここでスラスラ納得がいく理由を述べてもらえれば大体通過します。
    逆に一瞬でも詰まる人はサヨウナラ』…
    どこの会社行っても嫌なことあったら同じように辞める可能性が高いから。
    別に何が何でも我慢しろと言ってるのではないので。

    更に玄田氏は続けます。

    大事なのは、自分にとっての異物を、一度、勇気をもって引き受けてみる事。
    はっきり言ってそれはシンドイ。
    だが、『運』という追い風は、異物と正面から向かい合う人にだけ吹いてくる。

    異物を自分の中に引き受けながら自分にどんな『ケミストリー(化学反応)』が起こるかを、辛抱強く待ち続けてみる。
    しばらくすると、自分だけでは見えなかった、本当の自分の構成要素が、おぼろげながらに見えてくる。

    良くスポーツ選手がインタビューで『たまたまです』『運が良かったです』とか言うけど、そりゃ日々の入念な準備、トレーニング、練習があったから結果がついてくるわけだしね。

  4. 結局、人が働くのはなぜか?
    教授は最後にこう締めています。

    かなしさに満ちた『働く』ということに、人がこだわり続けるのは、なぜなのだろうか?
    その答えは、一つではないだろう。
    ただ、数ある答えのなかで最も大切なのは、働くこと自体が、永遠の自分さがしだということなのである。

個人的には新社会人当時、『なるほどそんなものなのか』と思って読んでいたが、15年が経過し、非常に共感できる内容でした。
結構最初のうちは、『異物』(仕事内容であれ、上司であれ同僚であれ)だらけだったけど、経験を重ねるにつれ『異物』との遭遇は少なくなってきたように思えます。
まあそれだけ経験値があがったということなんでしょうが。

あと、嫌なことを引き受けたりやったりするのはお金(給料)をもらってるからできるわけで、仕事以外の日常生活の中で対価も無しに進んでそんなことに申し出る奴はほとんどいない。
だから仕事をして自分自身を成長させるフィールドに身を置かないと大抵の人はいけないのかなと。

子供の頃に例えるなら、嫌いな野菜を食べるのと一緒で食べれば(経験すれば)身に付くけど、一生そのような経験を食べず嫌いにして避けてしまうと成長しないのと同じ。
その野菜を食べるように勧める親が、職場の場合には上司や同僚に置き換わるのだろうけど。

そういった面ではいい上司、同僚、職場環境に恵まれるかの運・不運はあると思う。
だからある程度の所では見切って転職することも選択肢にないと自分を追い詰めて最悪の事態にもなりかねない。

まあ幸い今は売り手市場で転職しやすい環境にあるわけなんで気楽に行きましょう。

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2018.03.27

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